この記事をお読みのアナタは少なからず「ベトナム旅行」に興味があると思います。
今回この記事で紹介する内容は情報発信ではなく、私のベトナム旅行の体験談をありのままに書きたいと思います。
どうしようもないどん底のダメ人間だった私が、ベトナム旅行で劇的に人生が変わったために
「ベトナム旅行で人生が変わった話」と「どうして旅をするのか?」など、
- 結論は出会いがあるからだと思います
*写真の画質はプライバシーの為に全てCanvaで悪くしています。
17歳でベトナムとの出会い
私が初めてベトナムに来たのは17歳。
17歳当時の私は英語も話せず、ボッタクリのタクシーと殴り合いをするくらい破天荒な性格をしていました。
運転手と喧嘩をする直前に撮影した写真
17歳という年齢だったのでイキってました
17歳の私は見るからにバカそうですよね笑
ボッタクリのタクシー運転手と金銭で揉めて殴り合いのけんかとなり、周りに人だかりができていました。
そんな私が今ではベトナム語の学校を創設し、ベトナムに住んで3年になろうとしています。人生とは本当に不思議なモノです。
17歳当時の私は、オンラインベトナム語教室のVVレッスンを開校するなんて考えてもいませんでした!笑
それでもベトナムに縁があった10代の頃
18歳の頃はカンボジアにハマっており、数ヵ月に1回はベトナム航空を利用して、カンボジアの首都プノンペンに行っていました。
カンボジアに行ってた理由はプノンペンにあるスモーキーマインテンで生活するひとたちの取材のためです。
ベトナム航空なのでトランジットでハノイに滞在し、18歳の私はナイトマーケットを見て胸がトキメキ、ホアンキエム湖から感じる神秘的なものに胸が踊りました。
10代とはそれくらい純粋なのです。
20代になってベトナムに来た私は?
20代に入ってベトナムに来たときはひたすらマッチングアプリを使って、あんな手こんな手を使ってベトナム人女性と出会おうとしてました。
旅にマンネリが来て、いわゆる東南アジアで「沈没者」的な生活を送っていたのです。
1人の同級生タクとの出会いが再び僕にベトナムを好きにさせてくれた
17歳から旅に出て、20歳前後の私は完全に沈没者としてハノイの旧市街に滞在していました。
そんな中、1人のベトナム人から「おまえ日本人か?なんか若い日本人が困ってるから助けてやってくれよ」といわれました。
そんな感じでタクと旧市街で出会い、私もタクが宿泊しているドミトリーに移動をしました。
偶然にもタクは私と同い年で、あの天下の東大生でした。
タクと一緒にハロン湾へ向かった
マッチングアプリにハマってた当時の私には、ハロン湾へ行くという発想がありませんでした笑
だから最初は全然乗り気ではなかったのですが、旧市街で偶然出会った同級生のタクと一緒にハロン湾を旅することになったのです。
旅の醍醐味は出会い、ハロン湾で自信がついた語学力
ハロン湾に着いたわれわれは、船に乗って鍾乳洞という有名な洞窟へ向かいました。
洞窟の中が色とりどりに輝き、ひと言でいえば「神秘」そのものでした。
フリー素材の鍾乳洞
ツアー客のほとんどが欧米人で、鍾乳洞でタクと何を話したのかもう覚えていません。
私は欧米人たちと英語でずっと会話をしてた気がします。
ただ微かな記憶が残っており、楽しかったことだけは今も忘れないです。
ハロン湾で海水浴を純粋に楽しんだ
鍾乳洞の見学が終わると、宿泊するフェリーは海水浴ができる場所へ向かいました。
私もタクも無邪気に海へ飛び込みシュノーケリングやカヌーなど、子供のようにはしゃぎ楽しみました。
カヌーに乗ったり、素潜りをしたり、普段とは違う日常があり楽しかったです。
私はタクのカメラマンで何枚も写真を撮らされました。
実はこのとき、タクが東大生だということを私はまだ知りませんでした。
語学力に自信がついたハロン湾ツアー
上の写真はハロン湾の船でタクが撮影したものです。
ハロン湾ツアーに参加していたのはほぼ欧米人でした。
多くの欧米人と出会い英語で会話をして、「おまえ本当に英語が上手だな」と褒められました。
このとき英語に対して自信を持ち、オーストラリアでは時給22ドルで、
90%オーストラリア人という環境でお仕事ができました。
オーストラリア時代の私
アジア人のツアー参加者は3人だった
アジア人のツアー参加者は私とタクとルトというタイ人の3人だけで、夕食のころにはそれぞれグループが出来上がっていました。
左からタイ人のルト、私、アメリカ人の名前を忘れた、そしてタク。
船上ではこの4人でずっとつるんでいましたが、ツアー参加者全員で人狼をしたりしました。
ツアー後もハノイでいつも4人で遊んでいました。
タイ人のルトは25歳で今回が初めての海外旅行だったらしく、初海外が隣国のベトナムだと語っていました。
ハロン湾ツアーを終えて数年の時が経ち〜その後の我々は?
1週間ほどビアホイなどタクとハノイを楽しみ、お別れの日にタクやルトと連絡先の交換としてFacebookを交換しました。
私は親戚に会いにシンガポールへ、そしてオーストラリアへ向かった
誕生日の日にハノイを飛び立ち、シンガポールで起業して億万長者となった叔父の家に遊びに行きました。
叔父は現地の方と結婚をして。私と同世代の娘さんが2人がいます。
そのため親戚達と話すときはすべて英語です。
バンコクでハロン湾で出会ったタイ人のルトと再会〜ルトが起業で大成功
私はオーストラリアでのワーホリ中に歯が欠けて、医療費の安いバンコクへ歯の治療に行き、はやくもタイ人のルトと再会を果たしました。
こんな会話をルトとバンコクの川沿いでしていましたが、
その後タクはどうなったの?
左の写真はハロン湾にてタクと一緒に撮影したものです。
天下の東大生のタクは超大手企業に就職して、東南アジア放浪の旅で出会った日本人女性と結婚をしていました。
あんな高学歴でイケメンなのに、はやく結婚するなんて硬派で一途な奴なんだなと驚いたモノです。
旅を通して人生とは様々だな〜と思わされます。
ハロン湾の旅を終えて時が経ち現在の私は?
17歳で初めてベトナムに来て、タクシーの運転手と殴り合いの喧嘩をして、「二度とベトナムになんか来るか」と思っていましたが、運命とは不思議でおもしろく。
タクたちとの旅でベトナムが好きになり、現在の私はハノイ大学で大学生をしながら、株式会社のCEOとしてVVレッスンという日本最大級のオンラインベトナム語教室を運営しています。
今はベトナム旅行が好きで「ベトナム旅行ドットコム」というサイトも立ち上げました。
最後にアナタに伝えたいこと
私がアナタに伝えたいことは、旅とは素晴らしいということです。
最初に結論を書きましたが、旅の醍醐味は出会いです。
タクなどに偶然出会えてなければ、ベトナムを好きになっていなかったかもしれません。
そのため、今後ともベトナム旅行ドットコムを通して、ベトナム旅行の素晴らしさや出会いなどをみなさまにお伝えできればうれしく思います。
もう今はマッチングアプリなどの出会いは求めていません笑
また記事を更新しますので、よろしくお願いいたします。
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